-貞山運河研究所は、貞山運河の魅力を再発見し、地域振興に活かします-

貞山運河の魅力

貞山運河には今まであまり認識されてこなかった潜在的な魅力があります。たとえば、開発時期、開発期間、総延長、自然環境、関わる地域の多さ、開発時の時代背景など、どの視点から見ても際立った特徴があり、それが貞山運河の魅力となっています。その魅力は以下のように大きく3つに分けられます。cropped-a5de2a5fe7b09f6b99dbd54e9301fc10.jpg

①日本最長である
貞山運河は、木曳堀、新堀、御舟入堀の3つの堀と、東名運河、北上運河の2つの運河の総称ですが、その延長は49kmにもなります。日本には多くの運河がありますが、そのほとんどは全長が10km以内です。たとえば、観光資源として有名な北海道の小樽運河は1.3km、利根運河は8.5km、神戸の運河(兵庫運河と新川運河)は約3km程度です。貞山運河は日本の運河としては他を大きく引き離しています。
貞山運河の49kmのうちの2.6kmが仙台新港(仙台塩釜港)の建設時に埋め立てられましたが、残りの46.4kmは現存しており、今でも小型船舶が航行できる水路として使われていることが大きな特徴です。
貞山運河の3つの堀の総延長は31.5kmにも及びます。この堀だけに着目しても、最長の運河(堀)と言えます。また、明治の近代化政策と連動して建設された2つの運河の総延長は17.5kmあり、明治に入って建設された多くの運河のなかでは長いほうです。
阿武隈川(岩沼市)から旧北上川(石巻市)まで(あるいはその逆)の水路を辿るとつぎのようになります。

 阿武隈川河口 ⇔ 木曳掘 ⇔ 名取川 ⇔ 新堀 ⇔ 七北田川 ⇔ 御舟入堀 ⇔

塩釜湾 ⇔ 松島湾 ⇔ 東名運河 ⇔ 鳴瀬川 ⇔ 北上運河 ⇔ 旧北上川

貞山運河は、塩釜湾と松島湾を含めますと、その総延長はおよそ60kmにもなります。堀と運河を核にして形成されるこのような水路は他に例のない長さと思われます。

②歴史的価値がある
貞山運河の最初の堀である木曳堀の開削が始まったのは、今から400年以上前の安土桃山時代末期の1597年です。それは豊臣の世から徳川の世に変わろうとする変革の時期でした。木曳堀が完成したのは、関ヶ原の戦いの1年後です。
その後、間を置いて2つの堀と2つの運河が開削され、明治22年(1889年)に現在の貞山運河の姿になります。およそ300年をかけた悠久の開削と言えます。
江戸時代になって世の中が落ち着きを見せ始めると、城下町の整備が行われるようになり、その一環として各地で運河(堀)の建設が進められました。そのなかで江戸時代初期のものとしてよく知られているのは、京都の高瀬川(1614年完成、全長9.7km)、大阪の道頓堀(1615年完成、全長2.5km)などです。木曳堀の完成は上記2つの運河より十数年早いことになります。このことからも貞山運河は運河史の上で重要な位置を占めることがわかります。

③多様な表情をもつ
域内に貞山運河が存在する市町は、岩沼市、名取市、仙台市、多賀城市、塩竈市、七ヶ浜町、松島町、東松島市、石巻市の7市2町です。松島湾に接しているという点で利府町も含めますと、7市3町が貞山運河に関わっていることになります。なお、貞山運河は一部を除くほとんどが宮城県管理の河川として管理されており、仙台塩釜港の後背地にある御舟入堀の一部は港湾地区に指定されています。
岩沼市、名取市、仙台市、東松島市の貞山運河沿川の大半は田園地帯です。一方、震災前の名取市閖上地区、仙台市荒浜地区、多賀城市内、東松島市野蒜地区、石巻市内は住宅地が多く、仙台塩釜港の後背地区は工業地帯となっていました。
貞山運河流域には、全線にわたり豊かな自然環境が保全されてきており、震災以前はほとんどの地域において、両岸にクロマツが植えられ、全体としてのどかな田園風景を形成していました。蒲生干潟、井土浦など多数の野鳥の飛来が見られる干潟も残存していました。
石井閘門(震災後)歴史的遺構もいくつか残っていました。東松島市の野蒜地区では野蒜築港計画の遺構である突堤、レンガ造りの橋脚、下水道跡等があります。また、石巻市の旧北上川と北上運河の合流点には、石井閘門が現役の閘門として残っており、いまでも国土交通省東北地方整備局北上川下流事務所によって管理されています。
このように貞山運河は、津波による被害は受けたものの、復元が進めば今までと同様に、多様な表情を持ち続けると思われます。

PAGETOP
Copyright © 貞山運河研究所 All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.