-貞山運河研究所は、貞山運河の魅力を再発見し、地域振興に活かします-

政宗時代の歴史

表紙写真(宮崎先生)伊達政宗が仙台城や城下町を建設する際、必要とする大量の木材は当時、阿武隈川流域の丸森や角田方面から切り出していました。その木材を運ぶために開削されたのが貞山運河の最初の掘りである木曳堀(15.0km)です。切り出した材木は阿武隈川を下り、木曳掘を通って名取川河口の閖上まで運ばれ、そこからは名取川を遡上し仙台市内の南材木町まで運ばれました。川と川を堀でつなぐことによって、木材の運搬効率が飛躍的に向上しましたが、これは政宗の卓越した行政手腕と言えます。

新田の開墾に必要な水源の確保には治水が重要ですが、政宗はその専門家である長門国の阿武(現在の山口県萩市)出身の川村孫兵衛重吉を招聘しました。孫兵衛は木曳掘の開削にも尽力しましたが、最大の功績は北上川(石巻市)の改修と石巻河口港の整備です。また、孫兵衛は城下町の水を確保するための水路である四ツ谷用水の建設にも関わりました。

1600年代の中頃になると、開墾が進み米の収穫が増えました。その結果、北部の米が松島に集まるようになりました。これを舟で城下町へ安全に運ぶために、塩釜湾から七北田川までの御舟入堀(7.0km)が開削されました。米や物資は七北田川経由で仙台の苦竹に設けられた舟留りまで運ばれました。御舟入堀の開削には、孫兵衛の娘婿である佐々木伊兵衛が協力しました。

PAGETOP
Copyright © 貞山運河研究所 All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.