-貞山運河研究所は、貞山運河の魅力を再発見し、地域振興に活かします-

はじめに・・・

宮城県の海岸沿いに存在する貞山運河は、3つの堀と2つの運河によって構成されていますが、このうち最初に建設された木曳堀は、安土桃山時代末期の1597年に開削が始まり、完成したのが関ヶ原の戦いの1年後ですから、400年以上の歴史を有することになります。また、堀の1つと2つの運河は、明治になってから開削されたものであり、最初の堀から300年近く経って、やっと3つの堀と2つの運河が松島湾を挟んで繋がり、ここに1本の水の道が完成することになります。このように貞山運河には歴史的に興味深い背景があるにもかかわらず、その価値が十分に認識されてこなかったように思われます。
平成23年(2011年)3月11日に発生した東日本大震災(以下、震災)の前までは、貞山運河の全線にわたり豊かな自然が保存されていました。ほとんどの地域において、両岸にクロマツが植えられ、全体として、のどかな田園風景が形成されていました。蒲生干潟、井土浦など多数の野鳥の飛来が見られる干潟も残存していました。貞山運河は自然環境の観点からも貴重な存在でありました。
貞山運河の沿川地域は、宮城県の平野部であり、沿川7市3町の人口は150万人を超え、宮城県の総人口のおよそ65%を占めています。貞山運河沿いには人家が建ち並ぶ地区も多く、そこでは人と運河とが一体となった原風景が醸成されていました。
これまで、貞山運河関係のイベントがいくつかの地区で散発的に開催された例はありますが、貞山運河を地域の貴重な資源として大々的に活用しようという試みはほとんどありませんでした。貞山運河沿いの住民にとっては、ある意味では貞山運河は日常的であり、その価値をほとんど認識していないのが実情と思われます。
震災は貞山運河にも多大な影響を与えました。貞山運河のほぼ全域が津波の直撃を受け、護岸が相当な被害を受けたほかに、運河水域はもとより周辺の自然環境や歴史遺産もかなり破壊されました。一方、貞山運河が津波の被害を低減させた可能性があるとの研究者からの指摘があり、防災の観点からもその重要性が見直される動きが現れました。
現在、貞山運河は護岸の改修、防潮堤の建設、植林などの復旧工事が進められています。貞山運河がいつまでにどの程度震災前の状態に戻るのか定かではありませんが、今後は、貞山運河を地域住民の生活の一部としてや防災の観点からだけではなく、貴重な地域資源として地域振興のために有効に活用していくという視点が重要と思われます。
貞山運河研究所では、民間の立場から、官、学、地域住民と連携しながら、貞山運河を活用して観光産業を中心にした地域振興に取り組みます。

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